女の子ひとりバイクに乗るって

 

サロベツ原野にて

 

「ははは、○○ちゃんに大型免許が取れるなんて事が万一あったなら、北海道でも、サーキットでも、どこでもつれてってあげるよ。ははは、ははははっは・・・」

と口走った、宴席での一言がすべての悪夢の始まりだった。

職場の同僚F嬢は中型免許は持っていたが、全くのペーパーライダー、その免許を取った動機もオートレーサー(ギャンブルの方)の○○君に憧れて・・・、なんていうちょっとした変わりダネである。

とある宴席の二次会、親しいものだけが集まった僕等のテーブルに彼女も同席していた。そのテーブルには、時折僕と一緒にツーリングに出かける友人のTもいて、彼と僕が「来週末あたりどこかへ走りに行こうか?」なんて話題で盛り上がりかけたところへ、彼女も首をつっこんできた。

当時は大型免許の教習化が始まって間もない頃、くだんの友人Tも、つい数ヶ月前に教習所で大型二輪免許を取得してオートバイを買い換えたばかりだった。旧制度の中、試験場通いを繰り返して限定解除した僕にしてみれば、教習化と同時に続々と大型免許を手にしてくる輩どもが当然気に入らない。

「猿免許、豚免許、普通と大型二本立て!」などと、酔いにまかせて、僕はTに向かってワケのわからぬ罵詈雑言を飛ばしはじめた。

「Tさんに大型がとれるなら、私も取ろうかな」という、F嬢の爆弾発言は、そんな成り行きの渦中で囁かれた。

そのボッケラした性格ゆえに、公私問わずヒトからバカにされるのになれているTもこの一言にはムッときた。

「いくら教習所たって、○○ちゃんにとれるわけないだろ」と顔を赤らめて昂ぶったTに、「取れたらどうする!?」とF嬢はさらなる煽りを入れた。

「そんなことがあったら、逆立ちして、ケツの穴から首つっこんで、へそから世間覗いてやらあ。なあ?」と、言ってることの支離滅裂さとは裏腹に、真顔でTは僕に同意を求めた。

・・・と、こんな成り行きを経て、冒頭の発言に至る。

で、その、彼女は、取ったのである。

「もう、お嬢ちゃん、おじさん胃が痛くなっちゃうな」と教習所の教官に毎度苦笑いされ、卒検に際しては、「免許はやる、やるけど、お願いだから公道は走らないでね」とまで嘆願され、それでも、大型免許を取ってきた。

そんなこんなで僕等の珍道中が始まるのだが、免許を取ったとはいえ、ヨチヨチの彼女に、いきなり北海道まで走らせる訳にはいかない。

まず僕とTは、F嬢を「交通教育センター レインボー」へと連れ込んだ。休日の度、予約の取れる限りにおいて、F嬢を連れ、なんとなく毛色の違う、レインボーの群れの中へと飛び込み、彼女を「レインボー初級」から「レインボー中級」へとステップアップさせた。「バランス」なんていうコースにも参加した。

次いで僕等は、ハンディの無線を購入した。ハンドルから手を離さずに送信・受信を切り替えられるような、プッシュスイッチもそれぞれのオートバイに据え付けた。そして、僕とTの間にF嬢をはさんで、数回のショートツーリングをこなした。

その年の北海道ツーリングへは僕とT、F嬢、そしてY君の4人で行くことになった。もちろん普段のように、毎日500-700Kmを走破なんていう日程は組めない。1日300-400kmの走行、正味8日の日程で北海道を一周する。さらに彼女の疲労状態を推測して、採用された”安全策”が「トーリクバイクパレット」。

結果として、これは大正解だった。こんな風な裏技というか、”ツーリングごころ”のない手段は小ずるく、かつ気恥ずかしく思えるのだが、フェリー或いは自走で移動するための丸2日間が節約できる。

F嬢の面倒をみることに終始したスローペースなツーリングではあったが、それはそれ、普段とは別の楽しみ方があった。

 

R1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

YZF-R1(RED)

 

このR1は本来はF嬢の所有なのだが・・・

彼女が婚後バイクに乗らなくなったので、ウチの車庫に預かりっぱなしになっている。

 

R1 red

 

「赤いR1さんに乗りたい」なんて、スタイルに惹かれて手に入れたR1だったが・・・。
その前傾ポジション疲れ、「乗れない!」と、F嬢はすぐ音を上げた。
で、購入後間もなく、ウチに転がってたパーツを流用して、あっというまにアップハン仕様に変更された。
その後、このR1は彼女に駆られ、2年続けて北海道までのロングツーリングを走りきることになる。

 

アップハンドル

 

当時はまだ、「フェザー」なんてのも発売されていない頃。
このアップハンドルのR1の身軽さ、速さ、乗りやすさたるや格別だった。
スモールサーキットのスポーツ走行やら、走行会やらの度、友人どもが皆こぞって、このR1に乗りたがった。
F嬢も「嫌」と言えない性格で、快く貸し出す。
で、調子づいた友人どもがコカしてしまう。
犯人はO氏とウチの弟のY!
で、その度に補修するのは僕の役目・・・。

 

ヨシムラキット

 

彼女が乗ってる間は、パワーがあり過ぎると危険なのでいたってノーマルだったが・・・。
僕が預かりだしてからは、もうちょっとパワーをと、ヨシムラのファンネルキットを組み込んだ。
もちろんエキゾーストもヨシムラに変更。

 

都民サーキットにて

 

で、お遊びの走行会に顔をだしたり・・・(これブーツ忘れて普通のスニーカーで走ってる)

 

ナイタイ高原

 

K氏に貸し出されて、北海道へでかけたり・・・
そんな案配である。

 

追記(2010秋):やっちゃったのねえ・・・

今年はもてぎのST600を走ろうなんて意気込んで、モテギに走行枠のない休日には、このR1を借りて、近場のショートサーキットを走り回っていたのだが、「あーあノロマなコーナーでコケてしまいました」。F:BS, R: ピレリなんてタイヤの組み合わせも良くなかった。すっかりタレきったタイヤで、ちょっと速そうなR1000を見つけ、カラカイ気味に同じラインで突いていてコケた。たった50km/hrほどで、競輪選手みたくパッタリとコケた。ついでにツナギの肩には以前から気になっていた樹脂製のカップ。あっさりと鎖骨を折ってしまった。鎖骨には結構な転移・短縮があり、バタフライもあるので、CRIFでK−Wireしてもらおう(できれば痛いの我慢して局麻で!?)」と考えていたのに、整形はプレートに固執する。ついでに術場の都合とやらで、ope日は受傷後一週間後。受傷後7日なんていったら、教科書的には、もう線維性の骨癒合が始まってる。だから・・・逃げた。ロビンソンだけを信じて保存でいくことにした。当然、今シーズンはパー。

R1もそれなりに中破して、夏の終わりになって、ようやく修理に取りかかった。転倒前より良い状態に戻してあげること。これが壊したバイクに対する一番の罪滅ぼしとなる。

で、赤の外装は赤の外装でF嬢にバイクを返す時に、着せ替えられるよう補修しておいて、「当面はレーシーにいこう」なんて案配で下の画像のように、ロッシっぽく、変身することになった。

 

変身したR1

 

フェアリングとテールカウルは、中国製の格安ABS製品。驚く程に値段は安いが、装着には根気づよい加工と膨大な時間が必要。Fフォークはオイルを交換し、微妙に偏心のあったF・アクスルシャフトも交換。ライトステーは補修の上、再利用した。修理のついでに組み込んだパーツは以下の通り。

STM スリッパークラッチ

 

 こちらはSTMのスリッパークラッチ。製品の質はイタリア製にしては上出来。インストールはいたって簡単なのだが、紙切れ一枚のマニュアルには、イタリア人の書いた英語と、その横に殴り書きされた”てにおは”のなってない日本語訳。これを理解するのに苦しんだ。

 

STM Slipper Clutch

 

上記の画像はそのSlipper Clutchの品番。

 

イグニッションアドバンサー

 

+4度のイグニッションアドバンサー。ミハラプロジェクトは滅びてしまったので、海外製を調達。

 

MJNキット

 

MJNキットを組み込んだノーマルキャブは再セッティングして、215(220)/17.5。215番手なんてジェットはほとんど”筒抜け”。MJNはニードルの穴が噴射量を絞っているので、MJを5番10番変えたところで、大して吸い出されるガソリンの量は変わらない。「MJNはセッティングの許容幅が広い」なんて言う人もいるが、逆手にみれば、MJだけ30番手変えても、普通のニードルの10番手くらいしか変化しない、ということ。MJとニードル穴の双方で吸い上げ量が絞られる構造を考えれば、当たり前のこと。

 

ハーネス

99年式までのR1に今でも乗ってる人は、上の画像の白カプラー部分は要確認。このカプラーにはジェネレーターからの三相の電力が入り、レギュレーターへと続くが、どういうわけかこのカプラーを挟んで線径が異なる。細いのはレギュレーター側で当然この部分が熱を持つ。ギボシも経年変化で表面が酸化し、接触不良気味となり発熱する。自分の車両は配線の被覆が三本とも溶解し、所々銅線が剥き出しになっていた。レギュレーターは勿論正常。いたしかたなく、このカプラーからレギュレーターまでを高容量の配線で張り替えた。リコールの話は聞かないが、設計に際しての配慮が足りない。2000年式以降はハーネスの取り回し自体が変更されている。

 

98 R1