船上の朝

大島

 

 目覚めると、船室の窓に、夜明けの海が輝いていた。港が近いのだろう、カモメが一羽、二羽、船に纏わりつくように、窓を横切って飛んだ。目覚めとも、まどろみともつかぬ心地のまま、僕はふと、もうずっと長いこと、海が見たい、と願っていたことを思い出した。この一年、幾度となく、慟哭したくなるほどの、強い衝動に貫かれ、いたたまれないほど海に焦がれていた。でも、焦がれていたのはどんな海だったろうか。焦がれても届かないものを、押し殺し、馴化してゆく術を、僕は、どんなふうに覚え、過ごしてきたのだろうか。


 ベッドに寝転んだまま、タバコに火をつけた。茫洋とした、黎明の海を見つめていると、ある既視感が、心にぽっかり空洞をあけた。それは身の置き所のない既視感だった。例えばそれは、幼い日の誕生日の祝いごとのあと、たくさんの人々にかこまれて、高揚した気持ちの中で過ごし、昼寝して起きると、もう誰もいなくなってしまっていた、あの日。さっきまで、お赤飯やら、たくさんの重箱やら、ビールの空き瓶が転がっていた部屋には、今はただ大きなテーブルだけが、デンと置かれ、ぽっかりと開いた窓から差し込む、傾いた陽射しが、畳の目を浮き立たせていた、あの日。寝返りを打てば、広い部屋のなかに、自分と、贈り物のオモチャだけが、ポツンと取り残されていた。必ずこんな寂しさが、後になって、おとずれるなら、楽しいことなど、何も起こらないほうがましだと、涙をこらえた。


 或いは、高校生の頃、町外れの学校から駅まで、川の堤防の上を歩いた日々。二学期が始まり、日が短くなりはじめた夕方に、気まぐれに髪をあおる風を受け、ただ「青」でしかない空を渡る雲を見て、「今日が最高なのだ。今日以上の一日が、やってくることはない」と何度も心で、繰り返しつぶやき、わけもなく、走り出す。走り疲れ、息が切れ、土手を駆け下りて、川辺で仰向けに横たわる。両側の土手で切り開かれた、まるで平面の空を、思い思いの高さで、鳥たちが飛ぶときだけ、空は、深さをもった。


 そんな時、心は、いつも同じ頂にいた。とどのつまり「生きる」とは、そんなふうに、予め約束された喪失、あるいは、予め失われたものへの約束なのだろうと、僕は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥尻島・大島・小島・フェリー船上のスナップ

 

奥尻島
フェリーから眺める奥尻島

 

 

 

大島
夕暮れの大島

 

 

 

夕暮れの大島
夕暮れの大島