湖沼の「死」

 

小樽港とカモメ

 

その沼は、僕等の他には訪ねる人もなく閑散としていた。湖と呼んでもいいほどの広がりをもつ沼池の向こう側には、濃緑の原野が低く広がり、午後の陽射しを照り返していた。地平線には、大地と空の境界を縫い繕うようにして、風力発電の風車の群れが立ち並び、その右手背後には、利尻富士が聳え、翳んでいた。

さっきまで快晴だった空には、群雲が沸き立ち、風に吹かれて忙しく空を渡りながら、利尻の頂を隠しては、また顕わにした。沼の水面を掻き立てながら、強い風が岸に吹き付けていた。沼岸に生い茂るススキや笹は、身を傾いで、カサカサと鳴いた。沼の水は塩分を含んでいるらしく、笹は、その飛沫を浴びて、夏だというのに、赤茶色に枯れていた。沼岸は、鉄錆色の波に削られ、低い崖を作っていた。

沼の畔には、生い茂る笹の葉を掻き分けて、遊歩道が延びていた。幅30センチほどの踏み板を三列に並べて這わせただけの、簡素な遊歩道で、ところどころ、湿気にやられて朽ちかけていた。僕と彼女のゆったりとした足並みにあわせて、踏み板は頼りなく軋んだ。遊歩道の突き当たりには、岸から沼の面に向けて、舞台のように張り出した、木造りの展望台があった。展望台は心もとない丸木作りの手摺で囲われていた。展望台の床裏には不規則な間合いで、風に煽られた波が、ズン、ズンと打ち付けていた。その突端まで歩みでて、沼を見渡すと、波立つ水面に、午後の陽射しが、逆三角形の放射を描き出していた。「沼の深さは数メートル」と、案内板に書かれていたが、鉄錆色の沼の水は、底知れぬ深みを持つように思われた。

風が強まると、床裏に打ちつける波も激しさを増し、展望台は全体として不協和音のように鳴り響いて、揺れた。

僕の隣に立って、沼を見渡していた彼女は、展望台の手摺を離れ、さらに数歩、後ずさりして、床に座り込んだ。そして俯いたまま、弱々しく手を伸ばし、僕のジャンパーの袖を掴んだ。

「なんだか、気味が悪い」と、彼女は言った。

彼女を怯えさせたのは、いったいどんな恐怖だったのだろうか。自分の大切な持ち物が、風に飛ばされ、沼の水に飲み込まれて、取り戻せなくなるといったような、小さな恐怖だろうか。それとも、自分自身が、身体ごと飲み込まれて、もがき続けるといったような、もっと大きな恐怖だろうか。

流れ雲が太陽を隠すと、沼の水からも光が消え、ただ「深み」しかもたない、暗黒の淵が見え隠れした。展望台全体を波が揺らす、不気味な振動が、胃のあたりに、むかつきをもよおした。

ひとたび、この沼の水に呑みこまれたなら、自分という存在や意思は境界を失い、この鉄錆色の水と同化してゆくのだろう。自分であるという辺縁を失いながら、この底なし沼のうねりの中で、もがきながら、腐り落ちてゆくのだろう。「生」は「死」の根茎からのびでた芽に過ぎない。芽が陽の光にきらめき、花ほころび、やがて枯れ果てても、そんなことはおかまいないしに、「死」はじっと地中に潜んでいる。輝く水面が表象するその僅か水面下には、表情をもたない「死」が、ずっとうずくもり、呻いている。

沼はまた、沼全体として、孤立した、出口のない渦だ。表象としてしか立ち現れることのない深淵だ。この渦の中で、なお保ち得る「自分」などというものがあったなら、むしろそれこそが恐怖だ。僕等が這いつくばうのはいつもこの「上っ面」だ。「存在する」とは、この水面の虚構に「自己らしきもの」を浮遊させて、定点化し続ける作業に過ぎない。語りうるのは、行方でも根源でもなく、この遷移の過程でしかない。「生」が虚構であるなら、その「生」において語られる「死」もまた虚構である。歓喜と悦楽を飲み干され、その底で水草に足を縛られ、澱のように淀んだ死。「生」のもたらす、しわがれた苦痛と恐怖に沈潜し、さらに届かぬその奥底で、表情もなく、断面もなく、およそ空洞のように、湖沼の死が呼吸している。

彼女が選んだのは海の死である。フェリーの船尾から飛び降りるという、およそ見せつけがましいに過ぎないやり口ではあるが。

 

小樽ー新潟航路船上にて

 

 

 

パンケ沼

 

 

パンケ沼
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パンケ沼とススキ

 

 

パンケ沼の展望台
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パンケ沼から見渡すサロベツ原野線の風車
パンケ沼から望むサロベツ原野線の風車

 

 

パンケ沼から望む利尻富士
パンケ沼から望む利尻富士

 

 

パンケ沼
パンケ沼の赤い水

 

 

 

パンケ沼にて
パンケ沼周囲の原野のススキ